トーク元ネタ集

21.10.23更新
※コメントアウトのメモ書きを転載しているため、文体が統一されていません。読みにくい点多々あると思いますが、ご了承ください。

○ランダムトーク

「のーまくさんまんだぁ~! ばーざらだんせんだぁ~!」

……『不動明王真言』

「もこもこ? ああ、ムグラモチじゃない?」
「むぐら?」
「土の中に住んでいる、大きな鼠さー。漢字で、土の竜(土竜)って書くんだよ」

……『ムグラモチ』
モグラのことを古くは「ウグロモチ」などと呼んでいた。その後、少しずつ言葉は変化し、江戸期後半になると「モグラ」の語が書物に登場する。(もちろん土地土地で差があるものなので、大まかな話です)
1603年出版の『日葡辞書』には、「ムグラモチ」「ムグラ」という読みが確認できる。
1775年の『物類称呼』には「京にて”うごろもち”、東武にて”むぐらもち”、西国にて”もぐら”、中国にて”むぐろもち”、四国にて”をごらもち”、遠江にて”いぐらもち”、大和及伊賀伊勢にて”をごろもち”、越後にて”土龍(どりゅう)”といふ」とある。
1803年の『本草綱目啓蒙』には、江戸や水戸での読み方は「ムグラウ」「ムグラ」と紹介されている。

ムグラという読みは江戸近辺の方言で、それが後年に全国に広まったのでは?という説もあるそうです。このモードは宝永時代なので、”ムグラモチ”を採用しています。
ちなみに「土竜」という言葉は、元々中国でミミズのことを指していたようで、言葉が日本に輸入された際、誤ってモグラに当ててしまったようです。

「ユーザ、なんか遊ぼ」
「なんかって何さ」
「うーん、虫拳?」
「あははっ、ちょっと子供っぽいなー」
「じゃあ、虎拳しよ!」

……『虫拳』
古いじゃんけんの一種。江戸時代の書物には、子供の遊びと紹介されている。
……『虎拳』
じゃんけんの一種。近松門左衛門の浄瑠璃『国性爺合戦』の一場面から誕生したらしい。
体全身を使って”拳”を表現するため、室内の遊びである。虫拳とは違い、座敷などで主に行われたとされる。
『国性爺合戦』は正徳5年(1715年)発表のため、この遊びは宝永時代には存在しません。(ごめんなさい)

「ユーザ、カルタ知ってる? あんね、太夫に教えてもらったの。みんなで遊ぶの楽しいんだよ」

……『かるた』
室町時代にポルトガルから伝来したと思われるトランプ由来のカードゲーム。と言ってもポルトガル語のcartaを日本語読みしただけである。
江戸時代になると日本版トランプといえる「天正かるた」が作られ大流行した。
天正カルタは、「聖杯」(コップ)、「刀剣」(イス)、「貨幣」(オウル)、「棍棒」(ハウ)の4スート、1から9の数札と女王、騎士、国王の絵札がある。合計48枚。
カルタを使った大小の賭博が横行し、幕府は何度も禁令を出した。その度にルールを変え札を変え生き残っていたが、とうとう寛政の改革で完全に禁じられてしまった。「花札」は改革後、カルテの代わりに考案されたカードゲームである。すぐに禁じられてしまったが。
元禄16年(1703年)に刊行された『風流今平家』(西澤与志著)には舟や遊郭で「読みカルタ」をする絵が載せられている。(国会図書館デジタル版だと45コマ目)

「お布団を何枚も重ねたらもっと柔っこいよ、そうしよ!」
「あんたは女郎か」

……遊女は寝具もステータスの一部でした。遊郭の最上位の遊女(太夫)は、客から「三つ布団」という3枚重ねの敷き布団を送られたりしました。

「ハマグリって貝だよ、いっかかっぺ? 舞が『汐干狩』に行ってきてね、沢山採ってきたのさー」

……『汐干狩』(しおひがり・しほひがり)
汐干とも書き、江戸時代における潮干狩りの名称である。
潮干狩りは江戸時代の主要なレジャーの一つで、浮世絵などで当時の光景を知ることができる。
旧暦3月3日頃は大潮だったことから、この日が潮干狩りに最も適するされた。(現在の3月後半から4月始め頃)

か~ご~め~ か~ご~め~♪
か~ごのな~かの鳥~は~♪
い~つ~い~つ~で~や~る~♪
夜~あ~け~の~ば~ん~に~♪
つ~る~つ~る~つっぺったぁ~♪
な~べのな~べのそ~こぬけ~♪
そ~こぬいてた~~もれ~~♪

……『かごめかごめ』
歌詞出典『竹堂随筆』 文政3年頃(1820年頃)編纂

「でも一番好きだったのは、嘉義農林でした♪ 夏の決勝戦は、一所懸命応援しましたよぉ!」

……『台湾公立嘉義農林学校』
日本統治時代の台湾の学校。現国立嘉義大学。
1921年の第7回全国中等学校優勝野球大会から、外地(朝鮮、台湾、満州)と呼ばれた地域の学校も予選・全国大会に参加するようになった。外地学校の甲子園初出場は釜山商である。
1931年(昭和6年)、夏の第17回大会で初出場した嘉義農林は、日本人、漢人、高砂族の三民族混成チームだった。大会32打点の強打線と俊足を武器に決勝まで快進撃して話題を呼んだが、中京商に0-4で敗れて準優勝に終わった。

「『土用丑の日』って、なんでウナギを食べるの?」
「さあ? いつの間にかそう言われるようになりましたねぇ」

……『土用丑の日』
江戸時代、旬から外れた夏のウナギを売るために考え出した売り文句が「土用丑の日」という説が知られている。
青山白峰著『明和誌』(文政5年、1882年)には「丑の日にうなぎを食す、寒暑とも家毎になす。安永天明の頃よりはじまる」とある。

土用とは、立夏、立秋、立冬、立春の直前の約18日間のこと。五行由来の雑節。
丑の日とは、十二支の丑のことである。土用の期間の内の丑の日というのは、年間で約6日程ある。

「お菓子食べない?」
「いいですね。では、南京豆はありますか?」

……『南京豆』
落花生(ピーナッツ)の別名

チェイントーク「江戸時代の洗髪」

……出典『都風俗化粧伝』(文化10年、1813年) 
著者は佐山半七丸。タイトルの「化粧」は”けしょう”ではなく”けわい”と読む。

「元気のある良い字が書けましたねぇ♪ ねっ、簡単でしょ?」
「簡単じゃねーよ」

……『ボブ・ロス』
「ボブの絵画教室」で有名なアメリカ人画家。

「『人の詩を剽襲して、巧ならんよりは、吾詩を吐(はき)出して、拙きが優れると心得べし』ですよ。この言葉、よく覚えておきなさい」

……『人の詩を剽襲して、巧ならんよりは、吾詩を吐(はき)出して、拙きが優れると心得べし』
山本北山の詩論書『作詩志彀』にある言葉。
山本北山は性霊説の詩論を提唱した人で、性霊説とは「心情を自由に発露することを漢詩の要諦とする説」である。性霊説の元祖は、清の詩人である袁枚まで遡る。
先人達の詩を真似ても(擬古)、その作者に完全に成り代わることはできない。そのような詩よりも、下手でも自身の心を表現した”自分の詩”の方が優れている。という意味合い。

荻生徂徠の古文辞学を批判した服部南郭も以下の言葉を残している。
「以為へらく擬傚の作は、実にその人を奪ひて僅かに為すべきなり。然らずんば少しく避けんのみ。即ち拙なるも亦た僕の拙なり。豈に虎を画きて成らざるに愈らざらんや」(『南郭先生文集』初編巻十「島帰徳に与ふ」より)

大崎栄の師匠は漢学者の久保木清淵です。彼は「孝経」の復元・註釈書である『補訂鄭註孝経』を著した人です。
清淵の師は林家で朱子学を学んだ松永北溟でしたが、二人とも朱子学に批判的な言葉を残しています。また詩作も得意ではなく、詩集を残していません。
栄は清淵に学んだ後、江戸で山本北山の門人になります。

「……みんな、何事も成せばなる! 俺についてこいッ!!!」

……『大松博文』(1921-1978)
バレーボール全日本女子チーム監督。
スパルタ式のハードトレーニングで「鬼の大松」と呼ばれた。世界の強豪と比べ大きく劣る体格面を徹底した連携と高い技術力で撥ねのけ、1964年東京オリンピックで優勝する。大松が発した「俺についてこい!」は、当時の流行語となった。
ちなみに「東洋の魔女」という呼称は、元々は社会人バレーボールチームの「日紡貝塚」(大日本紡績、現在はユニチカ)を讃えた言葉である。1961年の欧州遠征で、大松に率いられた同チームは22連勝(全勝)を達成し、その際に「東洋の台風」「東洋の魔法使い」と称されたのが最初であった。全日本チームにおいても日紡貝塚の単独編成のような状態だったため、代表チームも同様の呼称で親しまれた。

「ベルリン五輪のメンバーだった『川本泰三』や『右近徳太郎』、決勝ゴールを決めた『松永行』。彼らの名はよく覚えています」

……『川本泰三』
シュートの名人。ベルリン五輪のスウェーデン戦で、日本代表の五輪初得点を記録。リベリア抑留から帰還後は、日本代表監督やサッカー協会の要職を歴任した。2005年に日本サッカー殿堂に掲額。

……『右近徳太郎』
慶應義塾大学ソッカー部出身。1934年の第10回極東選手権で日本代表に初選出。ベルリン五輪のスウェーデン戦では同点ゴールを決める。1944年にブーゲンビル島にて戦死したと伝わる。

……『松永行』
東京文理科大学蹴球部出身。1935年の全日本蹴球選手権大會に出場し準優勝。100mを10秒8の俊足が評価され、1936年のベルリン五輪代表に選出。スウェーデン戦では、後半40分に左サイドを駆け上がり逆転のゴールを決めた。1943年にガダルカナル島で戦死。
ベルリン五輪で松永が着用したユニフォームが、現存する最古の代表ユニフォームとして秩父宮記念スポーツ博物館に保管されている。

「生まれたばかりのヒナに、蜂蜜を食べさせると白雀になると聞きましたよ?」
「……ほんとかよ」

……『民家日用廣益秘事大全』(1851年)
江戸時代の知識本

さ~く~ら~ さ~く~ら~♪
やよいの 空は~♪

……『さくら さくら』(1888年、明治21年)
幕末頃の琴の手ほどき曲が基になったと言われている。
明治21年(1888年)に出版された『筝曲集』(文部省音楽取調掛 編)に「桜」という題名で掲載された。(掲載順は第二曲目)
この時の歌詞は「さくらさくら、やよいの空は~」であるが、昭和16年(1941年)に出版された国民学校音楽教科書『うたのほん.下』の中で、「さくらさくら、野山も里も~」の歌詞に改変された。
実は明治21年の歌詞は教科書用に作成したもので、筝曲集には『咲た桜』が旧詩だと記載されている。歌詞は以下に掲載。
「さいた桜 花見て戻る 吉野は桜 龍田は紅葉 唐崎の松 常盤常盤 深みどり」

「この前縫ってくれたタオルだけどさ」
「タオル?」
「剣道の面手拭い」
「ああ、どうでした? 虎さんの刺繍が可愛いでしょ?」
「それは良いんだけど、なんで小銭が縫い付けてあるの?」

……『千人針』
日露戦争の頃から始まったお守りで、当初は千人が一つずつ結び目を作ったことから「千人結び」などと呼ばれた。
千人針に虎の絵を縫う意味は、「虎は千里入って千里帰る」という言葉にあやかったものである。
また、小銭を縫い付けることも多く。五銭玉は「死戦(4銭)を越える」。十銭玉は「苦戦(9銭)を越える」という意味である。

「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の、水行末、雲来末、風来末…………え~っと」

……『寿限無』
落語の演目。早口言葉、言葉遊びとしても古くから親しまれている。
生まれた子供が元気で長生きできるようにと願った父親は、良い名前を付けるべくお寺の和尚に相談する。その和尚からおめでたい話や言葉を色々聞くのだが、それらを全部名前にしてしまったという笑い話。(名前や話の内容は、話手によって差があるので注意)

人を~斬るのが~ 侍ならば~♪
恋の~未練が~ なぜ斬れぬ~♪
伸びた~月代(さかやき)~ さびしく撫でて~♪
新納(にいろ)鶴千代~ にが笑い~♪

……『侍ニッポン』(昭和6年、1931年)
作詞:西條八十、作曲:松平信博
映画『侍ニッポン』の主題歌で、郡司次郎正の小説が原作。五度にわたり映画化された。
歌手の徳山璉が、レコーディングの際に「新納(にいろ・にいのう)鶴千代」を「しんのう鶴千代」と言い間違えてしまったのは有名。

「指揮官は指揮の中枢にして又団結の核心ですよ! 常時熾烈なる責任観念及び強固なる意思を以てその職責を遂行すると共に、高邁(こうまい)なる特性を備へ部下と苦楽をともにし率先躬行集団の儀表としてその尊信を受け、剣雷弾雨の間に立ち勇猛沈着部下をして富嶽の重きを、」
「戦じゃないっつの」

……『歩兵操典』
綱領、第十「指揮官ノ性格」より(一部単語の変更あり)
歩兵と書きましたが、綱領の内容は各種操典で共通です。

「まあ、ラジコン? みたいなものだよ。ラジコンは知ってるでしょ?」
「おお、それならわかります! 『長山号』みたいなものですよね」

……『長山号』
長山三男陸軍工兵大尉が制作した、世界初の無線操縦戦車。
昭和5年(1930年)3月20日に開かれた「放送開始満五年記念ラヂオ博覧會」にて一般公開された。会場の日比谷公園に集まった民衆の中心で、無線操縦される長山号の写真が今も残っている。(海外で報じられるほど注目されました)

「ちちんぷいぷい! ごよのおんたから!」

……『ちちんぷいぷい、ごよのおんたから』
春日局が幼少期の徳川家光を慰める際に言ったとされる「知仁武勇は、御代の御宝」という言葉が元ネタ……らしい。
元は大変良い意味の言葉ですが、徐々に変化していったようで、現在では随分と可愛い語感になってしまいました。
元ネタがそうであるように、慰める際によく使われるおまじないですね。

「ひと~つ……人の世の五欲をすすり。ふた~つ……不埒な勤行三昧。みっつ、醜い浮世の”いたか”を、退治てくれよう、牛太郎ぅ!」

……『桃太郎侍』
原作は山手樹一郎著の時代小説(昭和15年、西暦1940年から連載)。
「ひと~つ……」は、高橋英樹主演のドラマ版で登場する決め台詞で、本来は「一つ、人の世生き血をすすり。二つ、不埒な悪行三昧。三つ、醜い浮世の鬼を、退治てくれよう、桃太郎」となる。
……『いたか』
板の卒塔婆に経文や戒名などを書いたり、経を読んだりして金銭をもらう僧侶。乞食坊主の一種。また、堕落した僧侶に対する蔑称。

「雨降ってくるかもしんねーから、『下駄』(げた)履いて行きなさい」

……雨の日に重宝する履き物を「足駄」(あしだ)と呼びます。現代では、高下駄と称することが多いですが、歯の高い下駄のことです。(古来は全て「足駄」と称していたそうです)
基本的に江戸時代の主流は草履でした。正装が必要な時は、草履か雪駄が基本です。ちなみに下駄は嗜好的な品物で、幕府から「贅沢だから、履くなら安価な材質のものにしろ!」と御触れが出されたりしました。
足駄の他に、歯の低い「駒下駄」など多くの種類がありました。当時の人々は、時と状況、好みによって思い思いに履き分けていたようです。
ここでは、あやめは足が達者ではないので足駄ではなく歩きやすい堂島を薦めています。
 

「秋の夕日に~ 照る山もみじ~♪」

……『紅葉(もみじ)』 (1911年)
作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一
明治4年、「尋常小学校唱歌(ニ)」で発表
 

「あと、『鯛飯』(たいめし)っていうのも作ってみた」

……「鯛飯」
鯛を煮て、その身をほぐしてご飯と混ぜたもの。
目出度い物であり、お祝いの席などで出される料理ですね。鯛が傷みやすい上、輸送費がかかるため高価でした。海沿いの地域以外では、日常的な料理ではありません。
「百珍」シリーズの「鯛百珍料理秘密箱」(天明5年刊行)にもレシピが載っています。
 

「あやめは行ってみたい国はある?」
「私ですか? 私は……ロシアに、行ってみたいです。
……あとは、南洋諸島にも行ってみたいですね。」

……ロシア→ニコラエフスク・ナ・アムーレ
……南洋諸島→パラオ共和国ペリリュー島
 

チェイントーク「洲崎家の奉公事情」

……参考文献『下女奉公と農作業』(大口勇次郎)、『天保九年の下女奉公』(増田俶美)
 

「精霊(しょうりょう)の真菰(まこも)、棚経(ただぎょう)の坊さま、観ればみそはぎの露が出る♪」

……『地口』
古諺(こげん)をダジャレや韻を踏んだ言葉にかえる言葉遊び。
韻を踏んだだけの意味の無い歌も地口の一種。例;アイムソーリーひげソーリー
「精霊の真菰…」は、「女郎の誠と玉子の四角、あれば三十日の月が出る」の地口
出典は『守貞謾稿』
 

「え~と、ホレイショ・ホーンブロワー提督。シャーロック・ホームズさん。フィリップ・マーロウさん。などなど」

……『ホレイショ・ホーンブロワー』
セシル・スコット・フォレスターの海洋冒険小説「ホーンブロワーシリーズ」の主人公。初出は「パナマの死闘」(1937年)
……『フィリップ・マーロウ』
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説の主人公。私立探偵。初出は「密告した男」(1934年)
……『シャーロック・ホームズ』
アーサー・コナン・ドイルのミステリー小説「シャーロック・ホームズシリーズ」の主人公。探偵。初出は「緋色の研究」(1887年)
以上三名、有名過ぎて実在の人物の如き扱いを受けているキャラクター。
 

「例えば、忠敬(ちゅうけい)さんとか。他には宗吾(そうご)さん、大岡越前も好きだなぁ」

……『忠敬さん』
江戸時代の商人・測量家である伊能忠敬。「ちゅうけい」は婿養子先、下総国佐原での愛称。
……『宗吾さん』
江戸時代、下総国公津村の義民「佐倉(木内)惣五郎」の、地元での愛称。ここでは、直訴・一揆はともかく木内惣五郎は実在するという立場。
……『大岡越前』
大岡忠相の通称。江戸時代の幕臣であり、町奉行や寺社奉行を務めた。江戸町奉行時代の裁判は様々な創作物で書かれているが、どこまでが史実かは議論がある。しかし、役人・政治家のあるべき姿、手本として、江戸時代からその名声は衰えない。
 

「お正月のお遊びに「羽根突き」がありますよね。あれの羽は、トンボをかたどったものなんですよ」

……『羽根突き』
『世諺問答』(一条兼良・一条兼冬著、1544年執筆、1663年発行)にて、「初秋、蜻蛉出て蚊を食う。こぎのこ、形、蜻蛉に似て、蚊を恐れしむ遊びなり」とある。羽子板は古くは杉製だったが、江戸後期には桐製が主流。
羽根突きは、室町時代の伏見宮貞成親王(1372年~1456年)の日記『看聞日記』に「正月に、こぎの子勝負したぜ!」という記述が残されています。中国発祥の遊びで、室町時代に伝来したのだそうです。
……『無患子』
無患子は木槵子(もくげんじ)、または木欒子(もくれんじ)とも書きます。実はムクロジという読み方とは、これらが訛った上で更に誤用して広まった名前だそうです。(『言海』より)
お釈迦様が無患子の実で数珠を作ったという話は、『木槵子経』という経典が出典です。修行中のお釈迦様の元に、近国より使者がやってきて、「うちの国は盗賊やら疫病やら大変なの、助けてちょうだいよ!」というので、お釈迦は「木槵子の実108個集めて、数珠作んなさい。んで、三宝(南無帰依仏、南無南帰依法、南無南帰依僧)を唱えりゃ良かっぺよー」と教えてくれます。使者より話を聞いた近国の王様は、教えの通りにしてみると、人々は救われたそうです。目出度し目出度し。
 

「トンボ、三ツ矢、養老、加給品のラムネまで、たくさん飲みましたよ」

トンボ……トンボラムネ(トンボ飲料株式会社)
三ツ矢……三ツ矢サイダー(朝日麦酒←大日本麦酒)
養老……養老サイダー(養老サイダー株式会社。「東の三ツ矢、西の養老」と讃えられた)
加給品のラムネ……日本軍では加給品(おやつ)という支給品があり、ラムネは大変人気でした。
 

「古来は歌・俳諧、茶の湯、連歌などは高貴の人の遊興でしたから、それらに心奪われた侍を「公家風」を嘲ったのでしょう」

……『世事見聞録』(1816年)。著者は武陽隠士と名乗り、本名素性は不明。
「花は桜、人は武士というて、世の上に立ち、万民の目当てとするものなれば、右体の狂人等多く、殊に御直参がかやうの風俗ありてはいかんなり。何とも嘆かはしき事どもなり。」
 

「蝶々~、蝶々~、菜の葉に止れ~♪」

……『蝶々』(1881年)
明治14年、「小学唱歌集」(日本初の音楽教科書)で発表された唱歌。
歌詞は1947年頃に改編されたが、ここではオリジナルの歌詞を載せた。
 

「もったいないおばけが出てしまいます」

……『もったいないおばけ』
1982年、公共広告機構のCMに出てくるお化けの名前。
 

「天地に正氣有り、雜然として流形を賦す…」

……『正気の歌』(1280年頃)
作者は文天祥。中国南宋末期の軍人、政治家。
のちに幕末の尊皇派などにも影響を与え、藤田東湖、吉田松陰、広瀬武夫らが同名の詩を作った。
 

「え~と、「くろがね」ってお名前だったような」

……『九五式小型乗用車』
通称「くろがね四起」。日本初の国産実用四輪駆動車。開発は日本内燃機株式会社。
 

「気持ちが清清(せいせい)しますねぇ」

……「清清」とは、さっぱりするという意味の方言。
 

「兎追~いし、かの山~♪ 小鮒釣~りし、かの川~♪」

……『故郷』(1914年)
作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一
 

「油虫よ、これも世のため人のためなのです」

……「油虫」とはGのこと。別名「御器齧り」(ごきかぶり)で、明治以後にゴキブリと呼ばれるようになったみたいです。
 

「私の高雅高風さが末代まで残るよう、しっかりと記録を残してくださいね」

……「高雅」とは、気品が高くて優雅なこと。
……「高風」とは、気品ある優れた人格のこと。
 

「……まあ、今でも十分佳人だと思いますが」

……「佳人」とは、美人という意味。
 

「文久三年! 嘉永六年!」

……『水曜どうでしょう』
 

「ごじゃっぺめ、ごじゃ審判めっ!」

……北関東でお馴染みの方言。
 

「早ければ、ひと月。遅ければ次のお盆に帰ってくる……迎え火を焚いて待っててくれ!」

……『十三人の刺客』(1963年)
 

「野毛の山から ノ~エ~♪」

……『野毛山節』(幕末頃)
作詞者・作曲者は不明。幕末から明治維新の流行歌。ノーエ節、サイサイ節とも呼ばれる。
全国各地に「ノーエ節」があることで知られ、静岡県三島市の三島農兵節なども有名。どれがオリジナルなのかは諸説あるが、ここでは横浜の野毛山節をオリジナルとして扱っている。
 

「高天原のアイドル、あやめちゃんだよぉ~」

……ゲーム『艦隊これくしょん』(那珂ちゃん)
 

「ずいずい、ずっころばし♪ ごまみそ、ずい♪」

……童謡『ずいずいずっころばし』、謎の多い歌詞です。
 

「若く~あかるい歌声にぃ♪ 雪崩は消える花も咲くぅ」

……『青い山脈』(1949年)
 

「と~きょの中枢は丸の内~♪ 日~比谷公園……」

……『東京節』(1918年)
 

「中国の古典に『経世済民』なる言葉があります」

……『抱朴子』317年頃に葛洪が著した。文中に経世済民の記述がある。
 

「知に致すは物に格るに在り」

……四書五経の一つ『大学』より。
 

「拙者、薪割り流を少々!」

……映画『七人の侍』(1954年)
 

「……では、神の一手!(ピシッ)」
「…………先手、2六歩」

……居飛車の初手の手筋(江戸時代中期以降は居飛車が主流な為、あやめ様は居飛車党)
 

「とんとん、とんからりんと隣組~♪ 格子を開ければ顔なじみ~♪」

……『隣組』(1940年)
 

「亭主の職業は知らないが、おつむは当世の束髪で、言葉は開化の漢語で♪…」

……『オッペケペー節』(1889年)
 

「出来格好は申し及ばず。刃の匂、金の光、兔角云うに及ばず。扨もお見事成り!」

……『武辺咄聞書』(1680年)
國枝清軒が著した武辺咄集(武将の逸話集)
 

「雪やこんこ、霰やこんこ♪ 降っては降っては、ずんずん積る♪」

……『雪』(1911年)
 

「薬師如来!(ビシッ!)」
「何そのポーズ?」

……薬師如来は薬壺を持つ。(薬箱に関連して)
 

「いえ、ベルリンのオリンピックです」

……『ベルリンの奇跡』
1936年ベルリンオリンピック。初参加の日本代表が、優勝候補のスウェーデン代表に3-2の逆転勝ちを収めた試合。日本サッカー史上最大の番狂わせとされる。
 

「ああ、邪径(じゃけい)でありましょう!」

……『邪径』の意味は、「横にそれた道。正しくないよこしまな道」
 

「三つ葉の松というのは、真言密教ではとても縁のある松なんですよ。」

……『飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)』
中国で修行を終えた弘法大師さんが、帰国する為に中国の港に着いた時、「三鈷杵」という法具を東の空にぶん投げました。強肩ですね。
日本に戻って探したところ、高野山にある三本葉の松に引っ掛かっていたのを見つけたので、「せや、ここに道場建てたろ!」となったそうです。おかしなことやっとる。
 

「おっべんと、つけて、どっこ行っくの~♪」

……『おべんとつけてどこいくの』(1962年)
 

「せっせっせーの、よいよいよい♪ お寺の和尚さんが♪ かぼちゃの種をまきました♪」

……『お寺の和尚さん』
 

「あやめ探検隊。いんたーねっとの奥地に、高天原は実在した!」

……『川口浩探検隊シリーズ』(1976年~1986年)
 

「あめのぬぼこ! こをろこをろ~」

……『あめのぬぼこ』
「天沼矛」と書く。日本神話において、イザナミとイザナギの二神が、大地を創造する為に使用した矛のこと。こをろこをろ~♪
 

「何と言ってもローマです!」

……『ローマの休日』(1953年)
 

「す、さ、き、濁りません♪」

……『絶対少年』(2005年)
このネタはマイナー過ぎますね……
 

「37年の最終戦、西村と沢村の投げ合いが素晴らしかったです!」

……1937年度優勝決定試合。後楽園球場で行われた東京巨人軍対大阪タイガースの第6戦目。
巨人は春季最優秀選手の沢村栄治、大阪は秋季リーグ最多勝利の西村幸生が先発。結果は6-3で大阪が勝利し、年間王者となる。
その後、沢村が1938年に徴兵されたため、二人が再戦することは敵わなかった。1944年、沢村は東シナ海で、西村はフィリピンのルソン島で戦死する。
 

「……承け給う、承け給う。旅の行者、住山何れなりや!」
「本日、当道場に来山の儀は如何にッ! な~んて♪」

……『山伏問答』
 

「天は、我らを見放したッ……」

……『八甲田雪中行軍遭難事件』(1902年)
 

「それじゃ、儒教の教えでも紹介しましょうか!」

……『教育勅語』(1890年)
儒教に関連して。
 

「おお、藁苞(わらづ)の納豆ですよ。懐かしいですねぇ」
「……おや、天狗のマークが」

……『天狗納豆』
天狗党に関連して。
 

「私は、彼女の一番弟子なんですよぉ」

……『大崎栄』(?~1818没)。
字は文姫。江戸時代の漢詩人。伊能忠敬の4番目の妻。
天文学者の高橋至時が「素読を好み、四書五経を白文で読み、算術も絵も良く出来る」と讃えるほどの才女であった。
漢詩人として日の目を見ることはなく、文政元年に病死したと伝わる。
 

「十五夜お月さん、御機嫌さ~ん♪」

……『十五夜お月さん』(1920年)
作詞:野口雨情、作曲:本居長世
 

「そろた、出そろた~♪ さなえが、そろた~♪」

……『田植』(1942年)
作詞:井上赳、作曲:中山晋平
文部省唱歌です。ちなみに、ここでの歌詞はオリジナルバージョンです。
戦後は「御国のために」の部分が、「みんなのために」に改変されました。
 

「……佑花ちゃん、お漬物は二切れが良いと思います」

……現代でも、お弁当などについてくる漬物は二切れであることが多い、はずです。そうであってほしい。
 

「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です…」

……『春と修羅』(1924年)
宮沢賢治の詩集。
 

「祇園からの使者、狛犬と牛さんの味方、常葉仮面!」

……『月光仮面』
元ネタは「月よりの使者、正義の味方、月光仮面」
 

「ざ~んぎ、さんげ、ろっこんしょうじょ~!」

……『漸愧懺悔六根清浄』
山伏が修行で山歩きをする際に、唱えるかけ声。「懺悔懺悔六根清浄」とも言い、宗派により異なる。
「漸愧懺悔」とは、自らの行いを悔い改めること。「六根」とは、五感と心のことを指す。
五感と心を清浄ならしめる。言い換えると、綺麗になりましょ! って感じのかけ声です。(超訳)
 

「『三十六計逃げるに如かず』です」

『南斉書』王敬則伝より。「敬則曰、檀公三十六策、走是上計」
 

「『天高く馬肥ゆる秋』ですねぇ♪ ……(以下略)」

……『一日三秋』
「詩経」に「一日見ざれば三秋の如し」とあるのが元。三秋とは三回秋を迎えるという意味で、一日会わなかっただけで三年も会わなかったように感じる、ということ。大袈裟な……(by佑花)
……『秋風が吹く』
男女の関係が冷めるさまを言う。(飽きと秋を掛けた言葉)
……『天高く馬肥ゆる秋』
杜審言が著した詩『蘇味道に贈る』に、「雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」とあるのが元ネタ。「秋高く馬肥ゆ」とも言う。
……『一葉落ちて天下の秋を知る』
「淮南子」(紀元前100年頃の中国の思想書)。その中の「一葉の落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知る」に基づく。ほんのわずかな予兆から後の大きな動きを察知することを意味する
……『物言えば唇寒し秋の風』
「芭蕉庵小文庫」(1696年)、作者は史邦。
松尾芭蕉の「座右の銘」にある句で、「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ、物言えば唇寒し秋の風」とある。余計なことを言うと、災いを招くという例え。
『暑さ寒さも彼岸まで』……「彼岸」とは、三月の春分、九月の秋分を中日とする前後三日を合わせた七日間のこと。辛い事も時間が経てば去っていくんじゃない?という意味。
 

「夕焼小焼の~、赤とんぼ~♪」

……『赤とんぼ』(1921年)
作詞:三木露風、作曲:山田耕筰
 
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○さわり反応トーク

「じゃあ、地居天(じごてん)までにしようね」
「そういう近いじゃねーよ」

……仏教には「三界」と呼ばれる三つ世界が存在するとされています。仏教の世界観です。
その三つとは、欲界・色界・無色界と呼ばれます。
三界は輪廻転生という名のダンジョンの階層に当たり、欲界→色界→無色界の順番で仏道ランクが上がっていきます。
欲界は「欲に支配された世界」のことです。各界は更に何段階かに細分することができます。
我々人間が住む領域も欲界に含まれます。上は六欲天から、下は地獄までという広い領域を持っているのが欲界です。
欲界の内、上から6つの領域を「六欲天」といいます。欲界の天神様が住む場所です。
「地居天」とは、六欲天を地上・空中の二つに分類した際の、地上の部分を言います。
要するに地居天とは、仏教における神様が住む領域の一番最下層の世界、というわけです。人間から見て一番「近間」な天上なのです。
まあ……長すぎますね。
 

「ほれ、お手々握っててあげるから。”しみじみやりや~”」

……『しっかりやりなさい』という意味の方言。
 
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○質問回答トーク

質問「自転車などは乗りますか?」より
「走るのも中々上達しましてね、水戸の三浦環と呼ばれたものですよぉ♪」

……『三浦環』
オペラ歌手。世界的名声を得て「マダム・バタフライ」と呼ばれました。国際的に活躍した日本で最初のオペラ歌手とも言われます。
三浦が学生時代、自宅(虎ノ門)から東京音楽学校がある上野までの道のり(約8km)を自転車通学していました。明治時代の自転車は輸入品が多く大変高価な物で、そんな品物を良家のお嬢様が乗って通学する光景は、当時の人々には驚きだったようです。新聞にも「自転車美人」として取り上げられ、沿道には三浦の姿を一目見ようとする人集りができたとか。(三浦が自転車と共に写った写真も残っています)
ちなみに、「はいからさんが通る」の主人公「花村紅緒」のモデルとの説もあります。

質問「股覗き」より
「……「股覗き」って何?」

……『股覗き』
股覗きには、妖怪や幽霊にまつわる伝承が日本各地に残されているとの研究もあるが、神道及び仏教においては管轄外の事柄であるため、ここでは掘り下げなかった。
白柳秀湖(小説家、明治17年生まれ)や茅原華山(評論家、明治3年生まれ)も自書にて、幼少期に股覗きで遊んだ思い出を書き残している。

「少年の頃、着物を裾を前にからげて、その間から向ふのけしきをのぞいて見ると、それが毎日見なれた、手もない山川のたたずまひではあるが、ひどく眼あたらしく、きれいにみえるので、驚きもし、騒ぎもしたことをハツキリと覚えて居る。四十男がまさかにそんな真似も出来ぬのでやつては見ぬが…」 白柳秀湖 著『日本外交の血路』(昭和7年、1932年)より抜粋

 質問「イルカがせめてきたぞっ」より
「古い子供向けの図鑑に、『なぜなに学習図鑑』というのがあって」

……『なぜなに学習図鑑』
挿絵画家は小松崎茂、石原豪人、梶田達二、柳柊二、中西立太など。
……『小松崎茂』(1915年-2001年)
画家・イラストレーター。戦時中は戦記小説の挿絵など、多くの戦争イラストを描いた。戦後は空想科学イラストやメカイラストを数多く描き、人気を博した。
 
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○起動・終了トーク
・「おばらき~!」
……『茨ひより』
・「菜の~花畠に、入日~薄れ~♪」
……『朧月夜』(1914年)
文部省唱歌。作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一。
・「全国の皆さん、お早うございます! 今朝もお元気で体操はじめて頂きましょう!」
……江木理一(東京中央放送曲「ラジオ体操」)
・「オリオンは~高くうたひ~♪ つ~ゆとしもとを おとす~♪」
……『星めぐりの歌』宮沢賢治作詞
・「それでは、また次回お会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら~♪」
……淀川長治
・「今カラデモ遅ク無イカラ、原隊ヘ帰レ!」
……二・二六事件『下士官兵ニ告グ』(1936年の流行語)
・「遊楽町で~逢いましょうぉ~♪」
……『有楽町で逢いましょう』(1957年)
・「貴方のハートには何が残りましたか? それでは、次回の作品です」
……木村奈保子
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○終了トーク「次回予告」、タイトル一覧

第2話、『真菰の中でアヤメ咲く』

第7話、『正路質朴』

第12話、『常葉楼会談』

……『銀河英雄伝説』
 

第14話、『杜若』

第16話、『算用合て銭たらず』

……『算用合て銭たらず』
計算は合っているはずなのに、手元の金額が合わない様から、理論と実際はなかなか一致しないという意味。
ここでは古典落語の演目「壺算」の原話、「算用合て銭たらず」から引用。
 

第17話、『太夫の髪結い所』

第19話、『釣りの極意』

第20話、『日暮れて道遠し』

……『日暮れて道遠し』
史記に「吾日暮れて途遠し。吾、故に倒行して之を逆施す」とあるのが元ネタ。成すべき事を達成できずに、年老いてしまったという意味。
ここでは、年老いた職人の残り僅かな人生を「門限」と言い換えている。
 

第25話、『神に心を、沖つ白浪』

……『立ち返り、あはれとぞ思ふ、よそにても、人に心を、沖つ白浪』
古今和歌集474番
意味は、沖の白浪が繰り返し打ち寄せるように、あの人をいとおしく思う気持ちは絶えない。遠く離れても、この心はあの人を思い続ける。って感じ。
 

第26話、『赦されざる者の祓詩』

……『スクラップド・プリンセス』
 

第28話、『神様はつらいよ』

……『男はつらいよ』
 

第32話、『猿田彦をつかまえて』

……『猿田彦』
猿田毘古神(さるたひこのかみ)。日本神話に登場する神。天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した。
 

第33話、『涙川、なに水上を、尋ねけむ』

……『涙川、なに水上を、尋ねけむ、物思ふ時の、我が身なりけり』
「古今和歌集」511番
川のように流れる涙は、どこから湧いてくるのだろうか。それは、貴方を思う我が身(心)に他ならない。という意味。
……「天野川でお花見」とは、夜の花火大会のこと。
綾がドタキャンした花火イベントで、あやめ様に何が起こるのでしょうか!って感じ。
 

第48話、『茨の道に』

第50話、『新しい私』

……「新しい私」
明治維新を経て国家神道(神社神道)へ。
 

第53話、『柴燈の光が消える時』

……鈴懸、袈裟というのは、山伏の代表的な装束。
……消えゆく法灯というのは、明治新政府による修験道廃止令のこと。
……「柴燈」(さいとう)は、護摩行のことで、真言宗当山派での名称。「柴燈護摩」というのが正式。天台宗本山派では、読み方は同じだが「採燈護摩」と書く。
 

第54話、『行きつ戻りつ思案橋』

第61話、『神道のすゝめ』

……『学問のすゝめ』
 

第65話、『流星光底長蛇を逸す』

……江戸後期の儒学者・史家である頼山陽の詩『不識庵の機山を撃つの図に題す』に、「遺恨なり十年一剣を磨き、流星光底長蛇を逸す」とあるのが元ネタ。川中島の合戦をうたった詩である。
長い時間と努力をかけて準備したのに、絶好の機会を逃してしまった。という意味。
流星光底とは、振り下ろした刃が流れ星のように光る様を表している。
……男というのは、測量家の伊能忠敬。女というのは、忠敬の内縁の妻であり漢詩人の大崎栄。
両者とも優れた才能を持っていたが、忠敬はチャンスを手にして夢を叶えたのに対して、栄は機会を得られぬまま早世した。
 

第67話、『あやめの時間』

……『イヴの時間』
 

第72話、『可愛い軍神様』

……『サクラ大戦』
 

第79話、『居酒致し候』

第82話、『ニコラエフスクの空に』

第87話、『長いお別れ』

……『The Long Goodbye』(1953年) レイモンド・チャンドラー
……『歩兵第二聯隊歌』(旧) 作詞・作曲者不明。
 

第88話、『響け! 鎮魂の歌』

……『魔女の宅急便』
 

第91話、『拝啓、常葉あやめ様』

最終話、『天命』

「佑神奇譚すぺしゃる」第1話、『八重に実る秋穂かな』

「佑神奇譚すぺしゃる」第2話、『洲崎に咲いた花を佑ける』

「佑神奇譚すぺしゃる」第3話、『鴉の忘れ物』

「佑神奇譚すぺしゃる」第4話、『私』

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