常葉神社の歴史– history –

『佑神奇譚』設定資料

このページでは、『佑神奇譚』の設定資料やイラスト等を紹介します。

・このページに掲載した資料及び記述は全てフィクションです。史実及び実在の人物等とは関係ありません。
・ゴーストの制作進行により、設定内容が変更される可能性があります。

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神社史

神社明細帳

授与品

年表

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応永35年(1428)

常葉村に密教寺院「薬宝寺」が開山。

寛正元年(1460)

常葉村で疫病が蔓延。薬宝寺により、村内に牛頭天王の小祠が祀られる。

永正6年(1509)

常葉村にて、熊野三社権現が祀られる。

天正19年(1591)

戦乱により薬宝寺が全焼。

寛文3年(1663)

水戸藩、「開基帳」を作成。領内の寺社及び山伏を調査。

寛文5年(1665)

幕府、「諸宗寺院法度」を布達。

寛文6年(1666)

水戸藩、一村一鎮守制を推進し領内の寺社整理を開始する。(元禄頃まで)
寺院1433ヵ寺、神社約3000社を整理または破却。

寛文7年(1667)

常葉村薬宝寺の末寺及び門下35ヵ寺に破却が命ぜられる。

元禄9年(1696)

常葉村薬宝寺、曳寺を命ぜられる。
牛頭天王社及び熊野三社権現の遷座が決まる。

元禄15年(1702)

牛頭天王社、御神体(十王像)が破却される。常葉あやめが権現。
常葉村第六天山に牛頭社及び熊野社が遷座される。

宝永2年(1705)

???

享保4年(1719)

???

天保13年(1842)

徳川斉昭、毀鐘鋳砲令を布告。
領内寺社の鐘約600個、銅仏及び濡仏約100体を鋳潰す。
牛頭天王社の鰐口も徴収される。

天保14年(1843)

水戸藩、寺院二百余りを破却。
僧侶・修験者の放逐及び還俗を実施。墓碑面等に仏号を題することを禁止。
路辺の二十三夜塔・庚申塔・石仏を除去。

天保15年(1844)

牛頭天王社は「八雲神社」に改称。
熊野三社権現は「熊野神社」に改称。

元治元年(1864)

元治甲子の乱。尊攘派志士、常葉村を占拠し放火・強奪。
鳥居一基及び蔵書の一部が焼失。

慶応4年(1868)

「神仏判然」の太政官布告。牛頭天王は素戔嗚尊に改められる。

明治4年(1871)

「官社以下定額・神官職制等規則」の太政官布告。

明治5年(1872)

八雲神社及び熊野神社は「常葉神社」に改称。郷社に列格。

明治7年(1874)

???
常葉あやめ、教部省の教導職に補任。

明治8年(1875)

大教院が廃止され、神仏合同布教が停止。

明治16年(1883)

常葉あやめ、皇典講究所文章科に入学。

明治17年(1884)

教導職廃止。

明治19年(1886)

常葉あやめ、皇典講究所分所の講師に任命。

明治29年(1896)

常葉あやめ、「國学館」講師を務める。

明治43年(1910)

常葉あやめ、歩兵第二連隊の営内神社に祀られる。

昭和14年(1939)

???

昭和19年(1944)

歩兵第二連隊、ペリリュー島にて玉砕。
常葉あやめ、合同葬儀後に常葉村へ戻る。

昭和20年(1945)

大東亜戦争終結。
「神道指令」発布。「宗教団体法」廃止及び「宗教法人令」施行。

現在

☆佑神奇譚